■グランドパワー2004年6月号について■

グランドパワー2004年6月号は, カールに関する日本語の最新資料であり, 内容,分量ともに充実した解説, 多数の未発表写真など,読み応え,見応え十分である。 解説文全体は,英文の最新資料であり定評ある Jentz氏の著書(資料[37]) で発表された新事実も反映され, これまでの邦文の解説に比べて信頼性も高いと考えられるが, 一部「おやっ」と思う部分もあるので以下当方の感想と疑問点を書いておく。 (なおここに記載した以外にも,他の資料と食い違いがある部分はある。) カールについては不明な部分も多く,様々な異説も存在することでもあるので, 一概にグランドパワーの記述が誤りであると主張するつもりはないが, 明らかな誤記誤植と思える部分もある。

  • p.20本文
    …ラインメタルに対して超重量多軸式低床トレイラーの開発契約を交わした。

    これは クレマイヤー・トレーラーの事を指しているのかと思われるが, このトレーラーはラインメタルが新規に開発したのではなく, ドイツ国鉄が鉄道車両を運搬するために開発したものをそのまま流用していた。 ラインメタルが開発したのは, クレマイヤー・トレーラーに砲身や砲架などを搭載するための治具のみであるはず。

  • p.22写真
    既出の写真ではあるが,何度見ても興味深い。 資料[4] [52] [70] にも同一もしくは類似の写真が載っており, これらはすべてアバディーンで撮影された写真と思われる。 資料[4]の写真が一番鮮明であり, 車体側面に書かれた文字を良く見ると"ALLIED FORCES"と書かれている。 また資料[4]の他ページの写真からカールのすぐ隣にはK5(E)列車砲が置かれていることがわかる。

  • p.23写真下
    未発表の写真と思われる。 薄っすらと雪を被った様子が珍しい。

  • p.24写真解説
    …重量がかさむ砲架をのせるものは,同じ8輪でも車台トレイラーと同じ構造の短縮型が 用いられているようだ。

    クレマイヤー・トレーラーの車輪は二重になっているので, 砲身や砲架を搭載していたトレーラーは16輪,本体を運搬したトレーラーは24輪であった。 p.24の写真でも1〜3枚目はすべて16輪タイプであるが,側面の装備が少しづつ違っている。 (また上部の治具は当然搭載する部品によって違う形状をしている。) このため一見3枚目のものは1,2枚目のものと異なるように思えるが, 寸法などは同一のようであり, 決して解説のように4枚目の車台用のトレーラを切り詰め(短縮した)ものではないと思う。

  • p.33写真中
    搭載を容易にするために弾庫の側面はこのように外側に開くことが可能だった。

    確かに弾薬庫の側面は開く構造になっていたが, この写真の車両では側面の扉は取り外されてしまっている。 p.53, p.66上の写真でも同様である。

  • p.34本文
    …操縦手席後方には独立した形で副操縦手堰が設けられていた。

    「堰」ではなく「席」の誤植であろう。 なおこの副操縦手席はたんなる背もたれつきの椅子にすぎず,射撃時には取り外されていたようである。 p.22の図面, p.44, 45の写真で確認できる。

  • p.34写真解説
    …3号車以降の車両では最初からプラットホームを固定式に改めている。

    現存する写真やクビンカの車両の写真を見る限りそのようなことはないと思われる。

  • p.34本文
    なおこの調節装置は,15分で車体を上げたり下げたりすることが可能だった。

    p.38写真解説には「15秒」と記載しており矛盾している。 なおJentz本(資料[37])では15秒と述べられている。

  • p.41本文
    …履帯もピッチが250mmの新型にかわり (4号車以降では240mmのものに変更されたが詳細は不明)…

    Jentz本(資料[37]) p.17の表には3号車の履帯ピッチは250mm,4号車以降は240mmと書かれているが, これは誤植かもしれないと思っていたのだが…

  • p.47右写真解説
    …カール5号車ロキ。

    この車両はp.44, p.45上の写真に写っている2両のカールのうちの左の方であり, 6号車ツィウと考えられる。ロキは右の車両である。 (この2両を見分けるポイントについては 「カール各車両の相違点」を参照のこと。)

  • p.52写真解説
    …カール5号砲ロキ…

    明らかに「4号砲トール」の間違い。

  • p.54写真解説
    …1, 5号車と共通した迷彩が…

    明らかに「1, 4号車」の誤植。

  • p.55写真解説
    …なおこの4号車はその後ソ連軍に捕獲され,クビンカ戦車博物館で余生を過ごしている。

    4号車は確かにソ連軍に捕獲されたらしいが, クビンカに保存されているのは6号車ツィウであるというのが現在の通説。 4号車,6号車の細部の相違とクビンカの車両の細部を比較すると, この点については間違いはないように思う。

  • p.60, 61写真3枚
    3枚とも未発表写真と思われる。 特にカバーをバンドで車体に止めている様子, 履帯がブラブラしないようにかけているフックの様子が興味深い。

  • p.62写真上解説
    …カール5号車と思われる。

    セバストポリ戦に送られたことがはっきりしているのは4号車トールのみである。 この車両が5号車であるという何か根拠があるのだろうか。 Jentz本(資料[37])ではこの写真と, 連続する数枚の写真を5号車かと「?」つきで解説しているが,確証はないようである。

  • p.63, 64写真3枚
    いずれも未発表写真。 特にp.64の写真は興味深い。 操縦席に座っている兵士がいること,立っている3人は全員手すりなどにしっかりつかまっていること, 履帯がピンと張っている状態であることから, これはカールが走行中の非常に珍しい写真ではないだろうか! 小生は走行中のカールの写真は今まで見たことがない。 写真全体がぼけていると言うか,ぶれているのは走行中のためかもしれない。

  • p.66写真2枚
    この車両の一連の写真は既に数枚発表されているが, この2枚は未発表だったと思われる。 注意してみるとこの2枚の写真に写っている砲弾は大きさが違うことがわかる。 上の写真は軽ベトン弾(leichte Betongranate), 下の写真に写っているのは重ベトン弾(schwere Betongranate)である。

  • p.73本文見出し
    1943年の東部戦線

    「1944年」の誤植か。


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